バレエの歴史・芸術と言われる理由

バレエは、総合芸術です!

バレエ?

日本でバレエといえば、ほとんどの人が舞踊のバレエを思い浮かべることと思います。おなじように、バレエという言葉は、世界中で通用する共通語となっています。では、そもそもバレエとは、どのような舞踊と解釈したらよいのでしょうか。

イギリスの舞踊評論家、アーノルド·ハスケル(1903年~)「バレエとは、1つの物語を表現し、そのテーマを展開させ音楽のテンポと精神にもとづいて、フランス王立舞踊アカデミーの、本来定めた厳格な技法によって訓練された舞踊手の集団が、衣装を着け、装飾のある背景の前で演ずる、踊りの交響楽的作用によって内容と雰囲気をかもし出して、観客にみせる劇場芸術の1形式であり、この場合、音楽、動き (舞踊)、装飾はまったく同等の資格において協同する」

さて、この”バレエ” という言葉ですが、その語源はイタリアに求めることができます。バレエの語源は、イタリア語で”踊る” という意味の自動詞、パッラーレ (ballare)、あるいは“踊り”という意味の男性名詞、バッロ(ballo)、バッレット (balletto)などと考えられています。これらの言葉が、ルネサンス期を迎えた16世紀のイタリアからフランスに入り、フランス宮廷でバレエと呼ばれるようになったものとされています。

バレエに関する用語は、その多くがフランス語ですが、イタリア語が使われることも少なくありません。

バレエ種類

バレエは、クラシックバレエと、モダンバレエに大別することができます。

まずクラシックバレエですが、この名前には次の3つの意味があるとされています。その1つめはクラシックという言葉どおりで、19世紀までに作られたすべてのバレエ作品を指します。

2つめは、ロシアの舞踊家であり振付師であった、マリウス·ペティパ(1822 ~ 1910年)が完成させた、クラシック様式のものです。さらに3つめとして、マリウス·ペテイパ以降に作られたバレエ作品のうち、ペティパのクラシック様式を受け継いでいるものがあげられます。

一方のモダンバレエは、20世紀の初めに創造された舞踊です。本来モダンバレエは、クラシックバレエの型が模範化されている点や、トオ·シューズで踊り手の動きを拘束する点など、クラシックバレエの古典主義的な部分を否定するところから起こりました。その創始者とされているのは、アンナ·パブロワの『瀕死の白鳥』他、クラシックバレエでも多数の名作を生んだ振付師、ミハエル·フォーキン (1880 ~ 1942年)です。

フォーキンは、新舞踊の母といわれているアメリカの舞踊家、イサドラ·ダンカン (1878 ~ 1927年)の踊りに刺激を受けて、従来のクラシックバレエの形式を打ち破ったモダンバレエを起こしたのです。

ここで、イサドラ·ダンカンについて少し説明しましょう。

ダンカンは、1899年に独自のスタイルの舞踊により、シカゴでデビューしました。彼女は、古代ギリシアの美術にみられる踊り子の姿に触発されて、自由な発想で新しい舞踊を考案したのです。古代ギリシア風の衣装と裸足というスタイルで踊る、ダンカンの新しい舞踊は、1900年にパリとロンドンで認められたのをきっかけに、ヨーロッパ各地に広がり、さらにソ連で舞踊学校を開設するなど、世界中に広く普及していきました。新舞踊の母といわれるダンカンに始まった、とらわれのない舞踊は、モダンダンスと総称されています。

バレエ歴史

古代の舞踊

バレエが誕生したのは14世紀以降のこととされていますが、その源ともいえる古代舞踊の歴史はたいへん古いものと考えられています。踊りは、人類の発生とおなじころからあるといわれ、一説には、人類よりもさらに前から鳥たちの間に踊りがあったともいわれます。

古い時代においては、舞踊は人々の暮らしの中でたいへん重要な意味を持っていました。健康や豊作、天候の安定などを神に祈るための儀式には、必ず踊りが伴ったのです。人々がさまざまな願いをこめて神に祈りを捧げたときの、自然な体の動きが次第に舞踊へと発展したのだと考えることができます。

1415世紀の舞踊がバレエに

バレエの歴史は、正確にはとらえられていませんが、その発生は14-16世紀のイタリア、ルネサンス期とされています。

当時イタリアでは、無言劇や仮面劇、幕間狂言などがよく行なわれ、バレエもそのあたりから起こった舞踊と考えられています。これらの劇には、次の4種類の舞踊が組み込まれていました。

・ダンス·フィギュレ(Danses figurées) 踊り手たちが、舞台に幾何学的な形に集まる状態の場面の連続で構成される。

・バレッティ (Ballett) 現代でいう社交ダンス。

・ブランディ (Brandi) 表現的でドラマチックな性格の衣装付きの舞台舞踊。

·モリスカ(Morisca) 文明の入り込む以前の土地の人々や動物などを表わす衣装や仮面をつけた踊り手が展開する、舞台舞踊.以上にあげた4つの舞踊の特徴を混合したものが、バレエの由来と考えられるようです。15世紀前後のイタリアで盛んに行なわれた劇などの中には、前述の4つの舞踊を取り入れた、バレエの原型と思われるものがみられました。そのもっとも優れた例とされているのは、15世紀に行なわれた、ミラノ公、ジャン·ガレアツォ·スフォルツァと、アラゴン (中世の王国)のイサベル姫との結婚式で披露されたという幕間狂言です。これは、宴会の席で料理の皿が運ばれるごとに、その料理にふさわしい歌や舞踊が行なわれたものといい、新しい趣向としてヨーロッパ各地に広がったとされています。

近世バレエ始まり

宴席から起こった、新しいスタイルの幕間狂言は、ヨーロッパの各国で受け入れられました。とくにフランスの宮廷では、積極的に行なわれたといいます。フランス宮廷での幕間狂言(宴会バレエ)は、たいへん盛大なものだったと伝えられていますが、その上演のために力を尽くした人物としてカトリーヌ・ド・メディシス(1519~1589年)が名前を残しています。

カトリーヌ· ド·メディシスは、フィレンツェの名門メディチ家の出身で、1533年にアンリ2世(1519~1559年) と結婚、1547年より王妃となりました。彼女は、後にフランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世となった3人の息子を持ち、フランソワ2世、シャルル9世の摂政を務めるほど、政治に関心を持っていたのです。そのため、華やかな幕間狂言を含む盛大な宴を開くことで、他国に対してフランスの勢力と財力を誇示すると同時に、3人の息子の関心をできるだけ政治から遠ざけようと図ったのではないかと考えられています。

カトリーヌが行なった宴会バレエの中で、られているのは、す。もっともよく知られているのは『王后のバレエコミック」と呼ばれるものです。バレエという文字が使われたのはこの作品からといいバレエ史の最初に登場する作品とされています。このバレエは、ある高貴な人の婚礼を祝うために、1581年にパリのブルボン家の宮廷で上演されたといい、作者は、カトリーヌ王妃によってイタリアから招かれたベルジオーゾ(後に、フランス風にボージョワイユ-と改名)だったと伝えられています。

『王后のバレエコミック」は、ギリシア神話に題材を求めたストーリー性のあるバレエで、舞踊、音楽、歌謡、演劇が一体となった最初の作品でした。そのことから、この「王后のバレエコミック』は、バレエの起源であると同時にオペラの起源であるともいわれています。

ルイ14世の時代に王立舞踊学校が創始

16世紀後期に『王后のバレエコミック』が上その成功は、振付師を務めたベルジオーゾの故郷であるイタリアにも知れ渡ったといいます。しかし、イタリアでの宮廷バレエの流行は、あまり長くは続きませんでした。

一方、当地のフランスでは『王后のバレエコミック』の後も宮廷バレエが盛んに行なわれ、アンリ4世からルイ13世(在位1610~1643年)、ルイ14世(在位1643 ~ 1715年)の時代へと移るにしたがって、その方向は少しずつ変化したものの、さまざまな形でバレエが行なわれました。バレエの発展がとくに目覚ましかったのは、ルイ14世の時代です。

太陽王と呼ばれたルイ14世は、歴代のフランス国王の中でもとりわけ強大な権力を持ち、絶対王政の頂点を築いた王です。ルイ14世は派手好みで、ベルサイユ宮殿での生活はとても豪奢なものだったといい、また芸術や文学などに大きな関心を持っていたとも伝えられています。バレエは、そのルイ14世が大きく興味をひかれたものの1つだったのです。

ルイ14世は、自身も踊り手として数々のバレエに出演し、楽しむと同時に、バレエを芸術として高めるために力を注ぐことも怠りませんでした。その功績の1つとして、バレエに必要なあらゆる方面の、優れた才能の持ち主を、各地から招聘したことがあげられます。さらに、持論である “鑑賞にたえるバレエは、優れた舞踊家によってのみ演ぜられる” という考えに基づいて、専門の舞踊家を育成する学校を作りました。

1661年にパリに創立された、王立舞踊学校です。

舞台宮廷から劇場

ルイ14世の考えによって設立された舞踊学校からは、優れた舞踊家が順調に育成され、十分なテクニックを備えた職業としての舞踊家が次々と誕生しました。それまでは、バレエといえば宮廷内で王族や貴族の娯楽として行なわれていましたが、それがプロの舞踊家によって劇場で公演するものへと変わっていきました。

この時期に、1つの画期的なバレエが上演されました。それは、1681年にサン·ジェルマンで行なわれた『愛の勝利』という演目です。王立舞踊学校の校長を務めていた作曲家、リュリ (1632 ~ 1687年)は、『愛の勝利』を上演するにあたって、劇場バレエに初めて女性舞踊家を起用したのです。それまでにも、宮廷で行なわれるバレエには女性が登場することがありましたが、劇場でのバレエでは前例がありませんでした。劇場で行なわれる場合、女性の役は、仮面をつけた少年が演じていたのだそうです。こうして『愛の勝利』で女性舞踊家が劇場に登場したことは、以後、次々に女性舞踊家を世に送り出す大きなきっかけになりました。

舞姫カマルゴ衣装改革

女性舞踊家の誕生に引き続いて、18世紀には、バレエ史に残るいくつかの改革が行なわれました。その1つに、フランスの女性舞踊家、カマルゴ(1710~1770年)の衣装の改革がありました。カマルゴは、1726年にパリのオペラ座でデビュしましたが、その初舞台のときに、ふつうよりもスカート丈がかなり短い衣装を身に付けて、初めてかかとのない靴をはいたのです。それまでは宮廷バレエの流れをくんで、女性の衣装は足元までかくれる長い丈のスカートが通例だったので、ふくらはぎのあたりまでみえるカマルゴの衣装は、当時はたいへん話題になったといいます。

しかも、このカマルゴの衣装の改革は、女性舞踊家のテクニックを大きく前進させました。そのころのバレエでは、女性の動きは常に水平に床の上を動き回るだけで、空中を利用する動きがないばかりか、足を高く上げたり俊敏に動かなうな振り付けはありませんでした。それが、丈の長い重いスカートではなく、短いスカートにかかとのない靴を採り入れることによって、それまでは不可能だった跳躍などの動きが可能となったのです。

近代バレエ基礎確立

バレエ史の中に、もっとも大きく名を残している1人に、改革者、ジャン·ジョルジュ·ノヴェール(1727 ~ 1810年)がいます。ノヴェールは、1760年に『舞踊とバレエについての手紙』という著書を出版し、その中でバレエについておよそ次のような考えを述べているそうです。

「よく構成されたバレエというものは、劇と性格と風習の生きた絵画でなければならない。そして、眼を通して心に話しかけてくるようなものでなければならない。バレエは踊られるドラマでなければならず、ドラマの法則はそのままバレエにも適用される。バレエは踊りのための口実ではなく、バレエにおける踊りは、劇的アイディアを表現する手段でなければならない」

ノヴェールは、バレエは踊られるドラマであるということを強く主張し、バレエに初めてパントマイムを採り入れました。そして彼はロンドンで出会ったイギリスの名優、デヴィッド·ギャリックから、黙劇についてのいろいろを学び、新しいバレエのスタイルを作り上げたのです。その新しいバレエが従来のものとは違うことを主張するために、ノヴェールは彼のバレエを「バレエ·ダクション」と呼び分けました。バレエ·ダクションは、それまでのバレエから歌やせりふを排除し、ストーリーの説明をすべてマイムで表現するものです。この改革によって、バレエとオペラは完全に区別されるようになり、今日のバレエの原型が作られたのです。

ノヴェールは、バレエの新しい道を開くためには、衣装の改革も必要であることを感じました。とくに、バレエは踊られるドラマであるという主張を持っていた彼にとって、当時の踊り手が必ず身に付けていた仮面は、表情を隠してしまう不要なものでしかありませんでした。そこで彼は、前例を無視して、仮面とかつらを廃止したのです。

ノヴェールが行なった改革は、あらゆる面であまりにも急進的であったため、反対意見も多かったようですが、彼を支持する外国を転々として、バレエの改革の足固めをしたといいます。前述の、イギリスでのデヴィッド·ギャリックとの出会いも、そうした日々に得た大きな収穫の1つでした。

このようにして、ジャン·ジョルジュ·ノヴェールによって、今日行なわれているバレエの基礎が確立されたのです。

以上が、バレエが生まれるまでの歴史です。バレエの大きなきっかけを作ったのが「ルイ14世」だったんですね(^○^)

歴史的に変わった人物だと有名ですが、変わっていたのではなく芸術家だったんだと思います。だから感性をフルに使いバレエの元になる活動を行ったんですね。

バレエの事がよくわからない方は、歴史を知る事で興味が湧いてくる事があります。少しでもバレエが日本でも多くの方に愛されると良いと思います。

そのためには、バレエに関わっている日本人のバレリーナ、ダンサー、バレエ教室、バレエ教室、がバレエの素晴らしさを伝えていく事が大切です。それには歴史を学び、バレエを学び、正しく伝えていく事が日本のバレエ界には必要だと思っています。

もっともっと、日本でもバレエが文化に芸術になってほしいと願っています。

バレエの舞台を見た事がない方!この機会に1度見てみましょう!

全国的にバレエの舞台公演は見る事ができます。1年間を通せばかなり多くの舞台があります。

ぜひ、あなたの心のゆとりを作るためにバレエをご覧下さい!

このブログは、バレエボディトレーナー・IMURAが、バレエの身体の正しい使い方を解説しています。

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